老樹の城砦1

それこそ何世紀もの間、アラルフェス公家とサルニュダーサ公家とはローデスィアの 実権をめぐって反目しあってきた仲である。 何世紀−否、千年王国を標榜するアレスィア王朝の全史にわたって登場する、それは 長く不毛な戦いの繰り返しであった。  概して、ローデスィアは通商に栄えた国とされ、戦乱のイメージとは程遠い。  東西に長くのびるローデスィア横断公路は、西方サルニュダーサ大公領最大の港 ストラディヴァリスにはじまり、鉱山の街ランジュスト、ミニュエット、ログレス を経て、文化推奨の都、王都アレスィアに入る。そしてそのまま公路は東へ、 アラルフェス大公領−カジャール、アルヴィ、そして東方貿易の窓口シェファーヒル を数える。この間、アルヴィーヌ、セリーナ等の大河を横切るほかは全て陸路である。  この時代、さほど交通要路の整備技術の発展も、それだけの政治的統率もなされて いなかった時代−それも隣国トルディスとは明らかに事情の異なる、四囲を大海に 囲まれた水の国ローデスィアであった。  この異常なまでの陸路発達こそ後の社会地理学者たちがとみに語ることになる、 東西対立の賜である。アラルフェス、サルニュダーサの対立−ひいてはローデスィア 東西両地方の対立とは、ローデスィア史の事件ではなく、ローデスィア史そのもので あったとの名言−−「対峙、即ち統合」もここに過言ではないといえる。  ローデスィア横断公路とは、文字どおりの道ではなく連なる街である。  西のトルディス十二連合帝国、北方の大国ラフォレルドも、当時の都市構成は城砦 都市の点在であり、都市が最小の行政単位であった当時、これはきわめて至当と 思われる。だがいかにしても、この時必然的に生じざるをえない都市間の距離は当然の ことながら陸路の不通をも生ぜしめ、実際、都市の防衛的意味で故意に公路の造営を 拒否した地方もあっただろう。皇帝や王の力がいかに強かれ、地方の実権はまだまだ 各領主、あるいはそれにあたる地方施政者に委ねられていた時代である。  この東西の大国よりも当時のローデスィアが優っていたとは思われない。トルディス は古代ヴェレラン世界帝国の末裔を標榜する大国であり、ラフォレルドは建国当時より 存続するラウフォン朝のもと、七選帝侯と十二陸海軍を擁する安定した老大国である。 そして実際ローデスィアもまた、この抜きんでた陸路を東西の連動による更なる活用 へと持ってゆくだけの才幹を持たなかった為に、結果的には公路上に存在する国家と して以上には発展しなかった国である。故に、ローデスィアの陸路発達は歴史の特異な 産物として以上には−いわば鼻のあたまにできたいぼ以上には−評されはしないだろう。  この横断公路の発祥ともなるアラルフェス、サルニュダーサの対立とは当初、極小規模 のものとして始まっている。だが、両家の抗争とは両家拡大の過程であった。 「剣もしくは鮮血を」の言葉に示されるように、時の諸侯たちにとって不幸であったのは、 いずれかの公家の盟邦として共に戦うか−即ち剣−、あるいはもう一方との盟約が成立 する前に地上より消滅せられるか−即ち血−の二者択一であった事である。当時、 公家の勢力が余貴族のそれを軽く凌ぐものであったのは勿論、統一の大望を果たした アレスィア王朝が全力を使い果してしまったかのように衰退の一途をたどったことが アラルフェス、サルニュダーサ双方に二者対決の認識を与え、これが事態に更に拍車 をかけたことは言うまでもない。今やアラルフェスにとって悪とはサルニュダーサで あり、サルニュダーサの悪とはアラルフェスであった。アラルフェスが軍事を強化 すればサルニュダーサも強化し、サルニュダーサが強化すればアラルフェスも 強化する−そこには際限のない敵視と防衛の推進力が見られたのである。  一時は中小貴族達による反両公家勢力が現われた事もあるが、両公家が掲げた対公家 撲滅という大義名分を前に、中立派としての思想的な消極性を思い知らされるに 留まった。 かくて両家の勢力は雪だるま式に拡大してゆき、皮肉なことにも 「戦争は安定してゆく」のである。都市の城壁は取りはらわれ、城壁の規模に反比例して 諸都市は肥大し、やがて都市同士が接点を持つに至る。ローデスィア横断公路のこれが 発祥であると同時に、この時以来、東西間には更に高い「見えざる黒紗」が立ちはだかる こととなるのである。  互いに勢力が強大化して戦闘がこれまでの小競り合いに留まらず、自らの力をも大きく 削ぐであろう−いわば潜在的脅威を互いが内在することで、対立は冷たい底流のそれ となり、《潜争》と呼ばれる時代、真のアレスィア王朝史は到来する。  勿論、この背景にはいずれかの勢力が弱体化すれば、すぐさまにも崩れるであろう 均衡が存在していたわけであり、いかに「《潜争》とはローデスィアの平和である」 という誤認が当時なされていたとしても、これこそが不動の睨み合いに存続の意義を あたえ、即ちは象徴化しつつある両家の正対に東部勢力、西部勢力の認識を根強く 植えつけることとなったといえよう。  かつて西端ストラディヴァリス港から東方シェファーヒルにまで旅したトルディス の旅行家クスルド=シオナは、アレスィアをおおよその境界とした東西の様相の違い について彼独特の揶揄的な調子で次のように書いている。 「アラルフェス地方には黒毛の馬しかいないと思ったら、サルニュダーサ地方には 赤毛の馬しかいなかった。そして、アレスィアには白毛の老人しかいなかった」  無論の事ながら、これには少なからぬ比喩と多分なばかりの辛辣さが篭められている。 アレスィアにも勿論若者はいたし、シオナが訪れたとき、アレスィアのベルサレム 宮殿は絢爛と頽廃を同時に秘めた貴族文化時代を極めていたはずである。  両公家はここでもまた宮廷内部に薄暗い陰謀を繰り広げ、また時に武力抗争に生臭い 火花を散らせている。しかしそれはあくまで、東のアラルフェス勢力、西のサルニュ ダーサ勢力の各諸侯たちによるいざかいに留まり、両家それ自体については《潜争》 の名の所以たる潜在的抗争としてしか今に記録されていないのだ。これには、前述 のような両家の内的要因によるところが大きかったのは勿論であるが、ここに我々は 外的要因としてのアレスィアの存在を忘れてはならない。  自らの弱体によって両家を《潜争》へと至らしめたのがアレスィア王朝であると するならば、《潜争》が《潜争》たる状況に保持しているものもまたアレスィア に他ならなかった、といえば不思議にも聞こえるだろうか。アレスィアの衰退が 《潜争》の要因である限り、そして結果的には《潜争》の発生がアレスィア衰退の 要因である限り、アレスィアが《潜争》を保持するとの思考はいかにも逆説めいて いるかもしれない。しかし、時として歴史はもっとも脆弱な者に選択の余地を与える ことがあり、その選択が無機的な要素からはとうてい考察しがたい、一見無意味な史実 を生み出すものなのである。そしてこの時、アレスィア何代目かの名もない王は、 まさしく《潜争》による侮辱を忘れ、《潜争》に寄生して生き延びる道を選んだの だった。仮に両公家間の情勢が逼迫してさえも、その時にはかならずアレスィア王家が 仲介に入り、全面的な総力戦になるのを留める。その様を極単純にアレスィア王朝の 平和嗜好と称する者もいたかもしれないが、実際はその仲介こそが王家のビジネスで あったのは疑いもない。  皮肉なことに、弱体化したアレスィア王家が長きにローデスィアの地に君臨して きた事自体、両公家の反目を治める調停者としての存在が民衆たちに求められていた 現実を示していたに他ならず、ここに東西の実権を握るアラルフェス、サルニュダーサ の両公家、そして両者の天秤たるアレスィア王家といった三勢力「鼎立」の図式を諸外国 が思い描いたのも、きわめて至当といえたのである。  ともかくも、両公家の勢力を調停したことによるアレスィア発展は不純であったに 相違なく、いかにアレスィア王がその行為に偽善の理由づけをしたとしても、それは 頽廃した−−アレスィア王朝が成立当初に謳歌した絶対主義的中央集権の亡骸であったのだ。  これをシオナは「白髪の老人」と称し、そしてアラルフェスを黒、サルニュダーサを 赤と述べた。つまりは、アラルフェス公家のブロックとは盟主を統合の象徴として、 アラルフェス弱体の故に逆に自主的統合力を固めた−沈滞と安定の黒である。対して サルニュダーサ公家の赤とは、ますます強大化してきたサルニュダーサの一方向的 支配による大帝国的統合に根ざした−暴力と血泥の赤である。  シオナは、わずかに三月のこの旅でこれだけのことを見極め、そして、海洋と 緑影の国ローデスィアをあとにした。  もしもアレスィア王朝があと少し、せめて両公家の目にとまるほどにも強力 であれば、《潜争》は存在しただろうか。あるいは、アレスィア王朝は千年王国 の名を標榜できたろうか。  もしもアラルフェス公家衰退期に、東部諸侯が自主的統合を見せうるだけの 精神的発展を遂げきっていなければ、東西の均衡は守られたろうか。  いや、そもそも王都アレスィアの東西に各々接するアルヴィーヌ、セリーナ のふたつの河があと数十クレライ東に、または西に流れていたら、両勢力の 地理的均衡というものはありえただろうか。 「歴史は、偶然のうちに打ち建てられた必然である」 とは、シェファーヒル港での最後の晩に彼が残した言葉である。  ともあれ−アラルフェス、サルニュダーサの抗争とは、ローデスィア王国 アレスィア朝の、即ち「平和」そのものであった。そして、当事者をしてかく評せしむる までに、彼らの争いとは華々しい戦争というには程遠く、また表面的には何を目的にした ものやらははた知れぬ不可思議なものであった。そして、ここに健全な平穏を感じ取る 者は、当時こそどうあれ、今では一人としていまい。人はこの時代に文化大国 ローデスィアの未だ明かならざる歴史の闇と錯綜した運命の糸を見出し−そして運命神 ウルズの糸車がこの時早くも新たな時代の始まりへと向けて破滅と邂逅の紗を紡ぎ始めて いたことに、千年王国アレスィア王朝すらもがローデスィア全史の中にあっては大いなる 過渡期にすぎなかったことに、きっと愕然とすることだろう。  だが−−ときに人は知らぬ。  はるかな西方ではトルディス十二連合帝国タルティーン朝が瓦解し、北東部では老帝国 ラフォレルドが新たな世代へのきな臭い転換期を迎える頃合である。  当時、ローデスィアの人々は海洋環状列強三国の中で自分たちだけは特別だと思い、 またこれに疑いをすら抱かなかった。 それだけに破滅は大勢にとって突然のものであり、彼らは荒廃の大地に立って初めて、 自分たちが平和だと思い込んできた《潜争》とは、やはり破滅への刻時に他ならなかっ たことを知るのである。  そして、この時挙げられる歴史の実例こそが、これより述べられるであろう両公家の 幾世代にもわたる婚姻の儀である。美しき白装束の花嫁が心中におぞましい欲望を秘め るように、それは華麗であるが故に陰湿な《潜争》の事実である。 見えざるが為に存続を許された−しかし運命神ウルズは決して許し給わぬであろう、 ローデスィアの澱み呪われた血脈を、我々は哀しいまでにはっきりとここに見出すこと だろう。

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